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2016/04/20 | 人間は考えるアシである

 

 

二十四節気の第六節気、穀雨(こくう)。


青葉の香りを運ぶ風もそろそろ吹き始め、


立春から数えて八十八日目の


「八十八夜」を迎える。

 



葭始めて生ず(あしはじめてしょうず)


4/20〜24頃。


春も深まり、大地が真新しい緑色でいっぱいになるのを


待っていたかのように水辺にも春が訪れる。


池の水面からシュっと芽吹いた葭(あし)の若芽が、


それを知らせる。


勢いよく成長する植物の渇いた喉を潤す恵みの雨が、


優しく降る頃。

 



あし、あしは別名のよし。


皆さんも馴染みのあるヨシヅのヨシ。


日差しが強くて少しでも緩和するために


お家の窓に立てかけて、日陰をつくる。


あしは、“悪し”と通づるため


別名で、よし“善し”と設けたとも言われている。


葭、葦と同じ。

 



哲学者のパスカルの名言


『人間は考える葦(あし)である。』


これは、広大な宇宙に比べると人間は一本の葦(あし)

 

にすぎない。


しかし、人間の思考は宇宙全体をその対象にできる。


何とも、奥深く強くココロに響く喩えだと思う。


僕も共感できる。


ちっぽけな悩み事は、宇宙に比べたらほんの僅か。


ネチネチと否定したり、悲観に陥ったり


くだらない感情に支配される。


そんな時こそ、我を忘れずしっかりと現実を見て


次に進むべきコトを考える。


そしてココロを正して前にススム。


だって、僕ら人間は素晴らしい考えるチカラを持ってるからね。


しかし、何故パスカルは考えるコトを葦(あし)に喩えたのか


疑問に思う。他のモノでもよかったのではないか?


仮に、水辺にイネ科のこの葦(あし)が連続して


来る年来る年と力強く育っているところを見て


人間の考えるということに喩えたのか。


我々人間は、日々考える生き物であって


それを無限に繰り広げる。


まるで消耗品のように。


時には、感化されて考えが変わったり


強い使命感が芽生えて価値観が変わったりと、


それも


踏まえて次から次に出てくる葦(あし)に喩えたのか。

 



ところでパスカルだが、ブレーズパスカルといい、


力学、物理学と名を残した歴史的人物である。


もちろんそれだけではなく、


数学者であり哲学者でもあるアタマの良い人間である。


我々も普段気にとめてはいないが


一年の中で数回耳にする、


ヘクトパスカル。


台風の到来時に気圧の単位として用いられる。


そう、語源はパスカルさんから取っらものらしい。


圧力のこと。

 



台風と聞くと僕は、いつも思い出す。


祖父からの話を。


戦後最大の被害をもたらした


「伊勢湾台風」のこと。


僕の祖父は、戦争で足を負傷した


いわゆる傷痍軍人(しょういぐんじん)で、


僕が生まれた時には、すでに片足で器用に歩くおじいちゃんだった。


幼少期のころは当然、そんなところに疑問に思う節はなく


片足で歩くことが当たり前のことだと思っていた。


いつ何時も、びっこを引いて歩く。


自転車を乗るときも、器用に片足でペダルをこぐ。


時には、原付のカブを乗り回す。


あ、これは自転車よりも難しくないかぁ。


座る時なんて、胡座(あぐら)がかけない。


左足の太ももに鉄弾が貫通して負傷したので


その足を伸ばした座り方になる。


当然、走ることなんてできるわけない。


以前、祖父が菊を鉢植えで育てていた時の話だが、


ハウスに沢山もの菊を丁寧に仕立てていた。


それはキレイで見事だった。


そんな中、イタズラなネコが来る。


祖父にとっては天敵。


手塩にかけて育ててきた、カワイイ菊たち。


邪魔されたくない、


壊されたくない一心だったのか


見つけた途端、必死で追いかけていった。


不自由な身体で必死に。


身体を上下左右に揺れ動かしながら。


それはそうだろう、片足のせいで上手く走れない。


走ると言えば前に勢いよく進むはずだが


足の不自由な祖父は違う。


チカラが入っている分だけ、上下左右に大きな動作になる。


それを見た、ネコは非常にびっくりしただろう。


何かとてつもない化け物がこっちに向かってやってくる!


これはマズい、ヤられる!と思ったのか


一目散に逃げていった。


僕も終始見ていたが、あの光景は確かに異様だった(笑)


……。


笑ってる場合ではないが、


そんな祖父の姿を見て育ってきた。


しかし、いつの間にか僕も大人になり


祖父の不満足の身体のことを少しづつ理解していった。


ある日、祖父が言う。


「伊勢湾台風、あれには往生こいたぞ…」


ひどい暴風雨、今の住宅と違って


トタンや建具の音が、台風の恐怖を手伝う。


雨量も半端なく水位は上昇して、


辺りは一面の湖。幸い床上まで浸水しなかったが


迫り来る恐怖と足の自由の利かないことの葛藤。


外に出れば、強い風で立っていることすらままならず、


祖父は、転んでは立っての繰り返し。


途切れることもない雨で体はビショ濡れ、


体温はもちろん下がる一方。


そして、痛い雨風の強さで耳がちぎれる思いをしながら


その条件付きの身体で


隣のお寺の家族を避難させたという。


そして祖父の家屋で


体を寄り添って皆で小さくなる。


そして必死で神様、仏様と念を唱え


台風を去っていくのを願いながらジーっと耐え凌いでいった。

 



確かに往生こいただろうこの体験。


今日では、便利な情報化社会のため


非常事態の知らせが直ぐに察知できる。


備えあれば憂いなしと


非常食や防災グッズも整えれる。


しかし、ひと昔はそんな時代でなかった。


急に悪魔がやってきて、さっきまで穏やかだった世界を


一瞬で魔界に包み込む。


それはそれは、苦労したと思う。


お天道様や、植物、そして本当の意味での虫の知らせを


頼りにいろんなことに備えてきただろう。


そして、創意工夫して暮らしてきた。


四苦八苦しながら、あの手この手で。


編み出された知恵と培ってきた忍耐力は


今の時代の比ではないと思う。


こうして時が経ち、今の恵まれた現代。


僕らは、今、


何を考え、何ができるのか。


『人間は考える葦(あし)である。』


ひとつひとつのこと、もっと大切にできないか。


この恵みの大地で今を生きれることに感謝したい。


昔のヒトがいて、僕らがある。


そうだ!


僕らは、森羅のような考えるチカラがある。


水辺に育つ葦(あし)のように考えるチカラがある。


しかし考えるチカラに長けた文明でも


見失いがちである大事なこと。


昔のヒトが大切にしてきたコト


今一度見てみようと思う。


これからも決して忘れてはいけない


昔のヒトを思う感謝のココロ。



おじいちゃん、


貴方は負傷した足をもっても


ココロの葦(あし)は力強く、そして無限大。

 

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